涼しくなってきましたね。
運動会、体育祭の時期ですね。
今日はそんな体育祭での我が家らしいエピソードの紹介です。
さぁ、プログラムの説明を…あれ?夫がいない!
体育祭当日の朝、ハチマキ、タオル、水筒準備し、子ども達を送り出してから私は夫を起こしにいきました。
プログラム表を見ながら「次男は〇時からこの競技。三男は…」って説明しようと思って。
で、寝室のドアを開けたらですね
え、いない??
なんと、夫の姿が無い。
玄関をチェックすると、靴が無い。
どこかへ出かけているようです…
なので記憶を辿ったんですが、数日前に「〇日体育祭だけど行ける?」「行く」って会話をしてるんですよね。だから彼は今日が体育祭なことは知っているはず。
なのに、いない…
でももう慣れている。一人で応援するよ!
まぁでも、こんなことはしょっちゅうあるんで私には耐性ができている。
どうせ、この後、連絡とろうとしても多分電話出ないし、連絡とれたとして「行く」と返ってきてもこないかもしれないし、何なら出張で地方にいるかもしれない(どんだけw)
なので、私は気持ちを切り替え、一人で応援しにいくことにしました。
一応プログラム表送っとくか
念のため、プログラム表は写真撮ってラインに送信したけどね。そこに受け付けの仕方とか、保護者への注意事項も書いてあるし。
で、時間通りに私は1人で体育祭へ向かいました。
とりあえず、息子がんばれー!
体育祭が始まり、スマホをチェックしてみたけれど、夫からの連絡はありません。
なんだよ~と思いながら、息子の競技の寸前に、もう一度スマホをチェック。
するとプログラム表を見たようで「ありがとう」と返信が入ってました。
で???
「ありがとう」…だけ??
来るの?来ないの???
もう、ええわ、と私は更に気持ち切り替え競技に集中。
次男の皆から一歩遅れるけど一生懸命動く姿が可愛すぎるし、三男の児童席でずっと後ろ向いて友達としゃべってる姿も微笑ましすぎる。
相変わらずマイペースだなぁ
でも楽しそうで何より
成長したよなぁ
あと何回こういう行事見れるかなぁ
そんなことを、しみじみ思いながら
体育祭は終わりました。
玄関開けたら、夫いる!
帰り道、周りを見るとやっぱりご夫婦が多いんですよね。
夫婦でアレコレ話ながら帰ってて、普通はこうだよなぁと感じるんだけど、寂しさ、切なさはあまりない。
ただ、ちょっとした怒りはある。だって息子達、見て欲しかったかもしれないじゃん。お父さんに。
行けなくなったなら、せめて連絡はしないと駄目だよね。
で、イライラ抱えながら家に帰って玄関開けましたら。
あるんですよ、夫の靴が!
(いるんかいっ)と思いながら家に入ると、彼はキッチンでお茶を飲んでました。
体育祭、来なかったね
行ったよ?
はぁ゛?
夫、来ていたようです。
え、でも
どこにいたの?全然わからなかったけど
校庭の外から見た
外??
何故だ…。
夫、校庭を囲むフェンスの外側から覗いていたようです。
いやでも、ちょっとそれ…
外で立ち止まって見たら駄目って書いてあったじゃん。
プログラム表送ったでしょ?
あいつ等どこにいるかわかんなかったから
それ、あなたの都合ね
学校のルールとは関係ない
だから朝、競技の時間や場所の説明しようと思ってたんだよ。どこに行ってたの?
散歩
さ・ん・ぽ????
感情が忙しい私と一定な夫
この流れ、面白いと思う
私は夫の行動に驚き、呆れ、イライラし…感情が忙しいんだけど、夫は一定なんです。
いや、実際はわからない。心と表情が一致しませんからね、心の中は夫も焦りとかあったのかもしれない。
でも見た目からすると、朝急に姿を消したことについて全く悪びれてないし、子どもの様子を直接見れなかったことを悔やんでもおらず、私に(どうだった?)と様子を聞くことも無い。
っていうか、どちらかと言うとご機嫌で「昼俺が作るね♪」とか言ってルンルン料理を開始してる。
感覚が違いすぎる
本当に感覚が違うんだと感じます。
私は子どもの行事は始めから最後まで見たい。
彼らの頑張りを目に焼き付け、成長を心に残したい。できれば写真やビデオで記録にも。
対して夫は
外から全体を眺められればそれでオッケー♪
なんだと思う。
そして、この感覚って、
これが正しい!こう感じるべき!
というのは無いじゃないですか。
結局この日はお互いに
見たい形で見れた
ということになるのかもしれない
ただ私が重要に思うのは、
そこに私が諦めた感情(夫婦で一緒に)という部分。
(夫婦で一緒に)子どもの成長を感じたい
が乗っかれば、話は違ってくる。
私は()部分を諦めたから(違い面白~)となってるけど、()を大事に抱えたままでいたら、(何故こなかったんだ…)とモヤモヤしたまま今回の体育祭を味わうことになっただろう。
そしてこの()を大事にしているこの状態が、世の中で使われているカサンドラ症候群ということになるんだろうな、と。
そう感じた一日でした。
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